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オレンジセンター2020/10/16


先ずは国道の稲取桟道橋から長坂に上がって一望閣の前を”大洞の谷”へ。
マップの2

棚畑がスバラシイ「よしくぼ」 「大洞の谷」は吉窪の裏手、バリカン山の手前
ここを左回りに上がると、よしくぼ道に合流して大洞の谷を見渡すことが出来ます。そして2から3に移って新興団地の上から更に左へ、飯盛山を右まわりに続く道の途中から、大洞峠(下図左側の開けた南斜面上)やバリカン山が遠望できる場所に到着。

山神社の大鳥居の前を通って4で小休止。ここから「おおみよ」の尾根が見えています。5は大久保一族の「向畑」です。さあ、左へいよいよ農免道路を行きます。

6,7と続く道は景観が良く、ミカン畑の貯蔵小屋を包んだ景色は絵になります。



8にはブルーベリー園があります。夏の間はブルーベリー狩りができるし、ジャムなどの製品、特にソフトクリームが評判です。大きなヒマワリが迎えてくれます。
8から西へ少し下ると、見高入谷高原温泉があります。宿泊も日帰りもできます。
8から南下する道は以前より少し拓かれてきたような感想です。畑にいたオバチャンの話では、先日シルバーセンターの人達が手入れしていたとのこと。

9にはベンチがあり休憩出来ます。案内図が勉強になります。写真右側は墓地です。
10で国道135に到着しました。スタートから約2時間半かかっています。
オレンジセンターの食堂でとろろ汁セットを平らげ、さて、タルガノに向かいます。
                                               つづく



タルガノへ降下2020/10/17

国道135号わきの内田石材店の真ん前の道をゆきます。ここにはたいてい車が2,3台は止まっています。この先をゆるやかに下りてゆきます。狭い道は斜面上にあったり、小さなドブ川を行ったり来たりします。細い金属製の板を渡している所が2か所ありますが、バランスに注意すれば難しくありません。

                     ドブ川が谷川に変わっていました



磯に下りてきました。滝水のように流れ落ちて来る水は先ほど渡ったドブ川に見えた流水です。谷状の地形に他からの水も集めたのでしょう。




中央やや左の小さな岩を私はアンデルセンの靴と呼んでいます。大分前に来た時にはもっとはっきりした靴の格好をしていたのですが。

遭難慰霊碑
暫くして左に谷川を見ながら行くと、広く前方がひらけ磯と海が眼前に。志津摩から稲取岬の南面が見えてます。左手の磯の方に釣り人が一人いました。竿の先に集中しているようです。右手の方に遭難慰霊碑が見えました。近寄ると、石碑が半分欠けています。確か二人がここで遭難したと刻まれていましたが・・・。

磯は全体に一つの岩盤で”背”が幾つも続き、その囲みのなかに出来た水溜まりがタルのように見えます。それがいつしかタルガノと呼ばれるようになった所以だと聞いたことがあります。そのタルは中に数人が入って水垢離が出来るほどの広さです。

風が穏やかなのでいつまでも過ごしていたい所ですが、いい加減で引き上げることにしました。慎重に岩に手をやって帰途に就きました。途中、その細い道を当方が通り過ぎるのを待っていた人に気付きました。手にはコイルの付いた釣り竿とノコギリを持っています。「邪魔な木があるので2,3本切っておこうと思ってね」なるほど、道ならぬ道を釣り人はこうして常にメンテナンスして安全確保を心がけているのだなと感服した次第です。ロープを渡したのはこういう人たちなのでしょう。この方は稲取の方でした。 つづく


東浦路経由で志津摩へ2020/10/18

国道に戻ったあとはJAから東浦路をたどって志津摩へ向かいます。途中、長野のお地蔵さんに久しぶりに挨拶。


稲取と見高との峠でもお地蔵さんが迎えてくれます。このお地蔵さんは10年前に再来したものです。ここから志津摩への道は最近は殆ど歩かれていないようです。かなり荒れていました。倒木も横倒しのままでした。ただ、それも別荘がある所まで我慢すれば解放されます。

そして志津摩の遊歩道に降りました。お舟石は「たるがの」からも見ることができました。今回は満足のゆくウォーキングでした。 おわり



「ならいの風吹く町に」2020/10/19


「ならいの風吹く町に」 内山康生著

稲取高校は著者が社会科教諭として赴任してきた当時、「荒れた学校」で知られていた。既に中堅のベテラン教師であった彼も青年教師の如く生徒指導、家庭訪問等、獅子奮迅の働きを余儀なくされていた。何とかして学校を正常化したい。ところが、そんな折に同僚の話を小耳にいれた。「文化ホールも図書館も無いこんな町では無理だね。子どもたちが余暇に過ごす場所がないんだから」


東伊豆町に図書館を設立しようという著者の思いはそこから始まった。そして、当時の山田大八郎町長と話す機会があって、行政への要望は住民の意思がどこにどれほどあるかが先ず第一だと聞いたことから、陳情署名を集めることを思い立つ。それには身近な協力者が得られたことが大きな力となった。幼稚園、小中高のPTA会長副会長、その他に町の有力者の方々が発起人になってくれたことも大きい。

 

そもそもこの四十年ほど前に稲取の青年団が既に図書館の陳情書を時の町長に提出していた時代背景があった。それに「読書友の会」や「親子読書会」、「稲取読書会」などの結成が進んでいて、住民にその機運の盛り上がりの下地が出来ていた。あとは具体的に図書館設立をどう軌道に乗せていくかだ。

         東伊豆町立図書館 2020年春撮影

先ずは「図書館の会」を結成して会員とともに図書館構想を作り上げてゆく。それには県内外の図書館訪問が欠かせなかった。そして既に献本活動で集めておいた本を元に出来たのがミニミニ図書館だった。町からの予算も僅かながら付いた。

 

しかし、図書館設立まではまだまだその先があった。その後の町の予算が付かなかったこともあり、図書館設立の流れが頓挫するかにみえた先に「図書館法に基づく請願書」を町議会に提出する案が浮上し、そのための署名集めに取り掛かった。そして集めた6273筆(総人口の37%)の署名を議長に提出。議会の議決、それを受けた行政の決断が下って遂に設立が決定したのだった。

 

一九八七年の運動開始から一九九二年のオープニングに漕ぎつけるまで実に足掛け六年をかけて、ようやく新しい町立図書館が奈良本にお目見えした。著者を中心とした身近な協力者、運動過程で協力の手を差し伸べてくれた町内外の有力者、町議会筋の方々、そして利用者の住民の喜びは相当なものであったに違いない。本書を読み終わって、ノンフィクションなのにまるでドラマの一つが完結したかのような感動を覚えた。


                                                            


ならいの風に寺八つ、そして2020/10/20

伊豆稲取の「はまべ荘」のご主人から前回に続いて原稿を寄せて頂きました。それも、シリーズで公開したいと意欲をお持ちです。今後は私の空白を埋めて頂く形になります。是非、ご愛読をお願いしたいと思います。―――ブログ管理者

はまべ便り  第一回  「稲取港は我が庭」  鈴木 文雄作

前は大島、後ろは天城の峰続き、秋は山に蜜柑が色づき、港は稲取名物金目鯛、伊勢海老、栄螺(サザエ)、また地魚が市場に上がり、その上、温泉にも恵まれ、温暖な地なので観光地として全国に知られています。

 

稲取港は当館、はまべ荘の庭のようなもので、朝夕に出船入船が見え、漁師の姿に活力を感じとることが出来ます。夕闇迫る頃、青と赤の灯台が波間を照らし、薄明かりの中で郷愁に誘われるような気持ちになります。そしてまた、月明かりを受けた漁船の影が波間に揺れて、なんとなく自分の心がそこから投影されたかのような錯覚を覚えることがあります。こんな田舎の小さな漁港で自然を目の当たりに幸せを感じて時間が止まったようです。

 

稲取は古くからの町で他にも自然がいっぱいあります。地元方言で「こらっしぇい稲取」です。稲取名物、ならいの風に寺八つ、そして何より嬶(かかあ)天下。冬に北東(ならい)の風が吹くと、一週間も漁船が漁に出られない日が続くことがあります。港を取り巻くように成就寺、済広寺、清光院、善応院、吉祥寺、そして正定寺が並んでいます。徒歩で回って五分以内にあります。あとの二つ、栄昌院と蓮行寺は少し離れていますが、これほど寺が多いのは全国的にも珍しく、昔はそれだけ寺を支える町が豊かだったと言えると思います。

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近年は人口が少なくなり、寺は寺で観光のお客様に来ていただけるようにそれなりに努力しております。是非お寺さん巡りをしていただきたいです。この町の一番良い所は女の人が北東の風より強く、人情に厚い立派な女性が多いことです。そんな土地柄は八ケ寺の功徳かもしれません。

         

北東(ならい)の風吹く黒根の岬

海防の松もゆれている

夕陽が(かげ)三筋山

灯台灯りに海鳥が

(ねぐら)を探す稲取(みなと)