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新宿の海岸2012/07/05

合歓の花
昭和初期の新宿海岸の写真を見ると、新宿から稲取岬にかけて湾曲した海岸がほぼ砂浜であることがわかります。この砂浜の少し離れた海中にいろいろ名前の付いた石があって、子どもたちがそこまで泳いで遊んだ話しは「遷喬」や「稲取風土記」でおなじみです。

このあいだ「はまべ荘」のオヤジさんから直接その当時のお話を聞く機会がありました。十王堂ばらいから海に入ると、“ちょうべい石”があり、西町の沖には“うんま石”、他にも“すべり石”だとか、“ぬま石”なんかがあったそうです。

“うんま石”は真ん中が鞍のようになっていて、そこに座って休んだり、“すべり石”では滑って遊んだりしたものだと言います。これらの石はその後、埋められたり撤去されたりして今では見られないのが残念です。

「波打ち際じゃあ、ハタがしっぽを丸めてケンカしてたよ。それと、フグがおなかを膨らませるのを面白がって見てたな。地引網を引けば、タナゴなんかも入っていたね」

「そう言えば、掘っ建て小屋があったな。他から来た海水浴客のためだよ。“三軒家”のオバアチャンが着替え用のカゴを置いて営業してたんだ。二、三シーズンで止めちゃったかな。でも、海の家のハシリだよ、これは」

波打ち際が埋め立てられて道路が出来、そして港が整備されて現在があるのですが、私どもには当時の写真がどこか他の海ではないかと思うくらい信じられない光景を見せています。

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