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水車を使った製材所2015/09/11

白田海岸
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きのうは久しぶりに白田海岸バス停から東泉院の脇を通って迂回路の水道中継所施設に上がり、新白田トンネルを抜けたコースを歩いてみた。途中、トンネルの手前で雨が落ちてきたが、傘持参なのでのんびり歩けたのは良かった。
<稲取第2中継所>

 

理科大の保養所を過ぎ、少し上がったところで一人の紳士が下りてきた。白田の浜地区の方で、白田川を渡って片瀬側の川沿いを上流に向って歩き、赤川橋を渡って迂回路を歩いてきたという。水道中継所施設からこの道を下りてきたわけだ。

 

彼は昭和12年生れの77歳。小太りではあるが、健康そのもの。顔にシミ一つ無く皺もない。毎日、散歩を欠かさないというから、さもありなん。白田の交差点近くにお住いと聞いて、水車小屋を見たことがあるかと尋ねたら、何と、ビッグニュースを聞いてしまった。

 

白田の交差点から片瀬白田駅方向に歩いて間もなくの所にマンション・ロワジールがある。その前の路上に水車小屋があったというのは、既に私の知識の中にあった。現在丸井ストアを経営しているお宅のお婆さんが管理していた水車である。残念ながら彼女は既に鬼籍の人だ。

 

さて、その水車小屋の隣に製材工場があって、その中で水車が回っていたと言うのである。工場の中に川が流れており、そこで水車を回し得られた動力を使って製材していたという。水車のエネルギーをどう利用したかは知らない。そのまま機械的に使ったか、あるいは電力に変えていたとしたら、当時既に小電力発電を見事にシステム化していたことになる。

 

彼は昭和20年に伊東に疎開してきて翌年白田に移り、そのまま住みついて現在に至っている。従って小学生の頃に水車小屋のまわりで遊んでいたのだ。小屋の近くに2軒の家があっただけで、一帯は殆どが田圃だったという。

 

水車を回して得られたエネルギーを機械的に使ったとしたら、その具体的な製材のメカニズムを、あるいはそのエネルギーを電力に変えていたとしたら、その装置がどんなものであったかを、機会があったら是非聞いてみたいものだ。