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向田の田圃2012/10/27

向田の田圃
水下の農家Iさんは松の木に矢倉をかけている最中に腰を痛めたとかで、腰をさすりながら私との話しに付き合ってくれました。お宅の裏に松の木が3本あり、枝を剪定するために矢倉を架けていたらしい。

私が向田の田圃のハザガケの写真を撮りにゆくつもりだと言うと、実は昔、同じ向田のトンネル寄りにIさんかたでも田圃を作っていたと言います。志津摩はともかく、太田、向田はみな田圃だったのですね。

Iさんが子どもの頃、何とかという台風が猛威をふるったことがありました。秋の収穫を前にして心配でそっと見に行くと、高潮が押し寄せて田圃に襲いかかっていました。田圃は三段の石垣、つまり棚田だったわけで、その一番低い水際の田圃が全滅したということでした。思い出しても恐ろしい光景だったそうです。

当時、松の木がヨコオラの海岸に並んで立っていたと聞きましたが、これもいわゆる海防の松の類なのでしょうか。ヨコオラとは志津摩の湾曲した入江のことです。その松の木はそんな台風にもびくともせず耐えていたというから驚きです。

ヨコオラは海底に“瀬”のような部分があり、泳ぐのに適したところだったので、夏はよく泳いだりアワビやサザエを採ったりして、遊び疲れると松の木の陰で休んだと言います。

それから、オフネ石の辺りには築城石の積み残しが幾つもあり、それを使って築いた堤防から沖の大型船まで船が往復していたそうです。船が接岸するたびに起重機が動き回っていたとのこと。

そんな堤防もその後、稲取港の整備に使われて今はもう跡形もなくなっています。志津摩の海岸も昔と大きく変わったということでした。