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「五十尻」が特定出来た! ― 2015/09/30
<稲取岬灯台への坂道で>
久し振りでお塚公園に上がると、ご高齢の紳士が公園内をウォーキング中でした。今回の散歩のテーマは「五十尻」を特定すること。早速、土地の人であることを確認してから、質問してみました。
紳士は暫く首を傾けてから、「それは池尻のことではないかね。あの辺は昔は五十尻と呼んでいた気がする」と言う。現在、池尻海岸は夏のシーズンにはフロートを浮かべて、子どもたちの海水浴や磯遊びの場となっていますが、昔はそこでアワビがたくさん獲れたと言います。このことは先日、水下のKさん99歳から聞いた話と一致します。
あの磯場は周りに岩礁が並んで、ほどよい具合に池の形を作っています。池の海側の岩礁には昔は大きな岩があったと聞くと、多分、とんがりとか馬石とかの名が他にあったように、面白い名前が付いていたと思われます。でも、この紳士は覚えていませんでした。
しかし、お塚の山の西隣が小丸山で、稲取観光ホテルの裏山に該当するという彼の話は、私もうすうす感じておりました。また、そのホテルの東側に谷状の窪地が海に向って急崖を成している部分があり、「おりっと」と名付けられて、立野の人たちがここを往き来したと聞き、その場所があらためて特定できたのはうれしいことでした。
別れ際に、彼がホテル「福美館」の2代目だったことがわかりました。昭和4年生まれの86歳です。福美館と言えば、その所有する畑に稲取温泉の1号井が誕生したことで町史にその名が残されています。偶然お会いしてお話を伺うことが出来たのはラッキーでした。
<立野の台地で>
さて、その後、どんつく通りに下りて銀水荘への道をたどります。ホテルが閉館となる事態が続いていましたが、最近「さざなみ」という立派なホテルが誕生しました。
銀水荘の西側から国道への急な道を上がり、セブンイレブンの前に出たら、知人のオバサンが前を歩いていました。実はこの方はこの近くに40年前に家を取得した方でした。早速話を切りだします。すると、何と、私にとって重大な証言を得たのであります。
彼女が40年前に結婚して家を取得した時、そこの住所に付いていた字名が「五十尻」だったのです。志津摩へ走る現国道の海側にあるお蕎麦屋さん、「誇宇耶」を中心にした海尻が「五十尻」と確定出来た瞬間でした。先日、大畑で若い女性の方から聞いた話は正しかったということです。
更に、国道の上の「来宮さん」の近くで「三太郎どん」も、この旧道の下が「五十尻」であると教えてくれました。更に、五十尻の下側が「釜屋」だということでした。かくして、「五十尻」については3人の証言が一致しました。
水下公民館の前辺りから何本かに別れた用水路の一番西の用水路から水が落ちる場所、そこが「五十尻」ということになります。そこは「稲取マリンスポーツセンター」脇に、現在も音を立てて流れ落ちている場所でした。
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