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今朝の? ― 2015/12/13
今朝は幾分暖かったので小雨の中、散歩に出ました。コースは港を回ってから小丸山に上がり、お塚公園から文化公園~中学校~アラッコ~稲取駅~成就寺。
途中、気になったのは、小丸山で稲取観光ホテル裏の温泉貯水槽?稲取観光協会敷地内の防災施設?文化公園の温泉櫓?成就寺のロウバイのツボミ、以上4点。
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小塚公園の奥の径に入ったら、大きな貯水槽に気が付きました。エア抜きのような小さなエントツ数本の先端から湯気が出ています。このコンクリート槽の中には温泉があるのでは?温泉の一時的貯水槽?ここは廃業した稲取観光ホテルの真裏に当たります。この周辺の住宅に配湯でもしているのでしょうかね。
”どん付く通り”に下りて目に留まったのが、小さな防災用の施設?赤ランプが付いていますので。取水口かな?
普段、こんなものがあったなんて気が付かなかったですね。2階建ての2階に太い導管が2本組み込まれていました。1階はシャッターが下りていて倉庫のような感じ。
次はおなじみ文化公園の温泉櫓。ちょっとユニークなヤグラです。この立方体の中には温泉がやはり一時的に溜まるようにしてあるのかな?
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最後に成就寺のロウバイ。これがツボミですね。今まで咲いた花にだけ注目していましたが、ツボミには気が付きませんでした。これから徐々に葉を落として、あの淡黄色に花開くことになります。
水車を使った製材所 ― 2015/09/11
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きのうは久しぶりに白田海岸バス停から東泉院の脇を通って迂回路の水道中継所施設に上がり、新白田トンネルを抜けたコースを歩いてみた。途中、トンネルの手前で雨が落ちてきたが、傘持参なのでのんびり歩けたのは良かった。
<稲取第2中継所>
理科大の保養所を過ぎ、少し上がったところで一人の紳士が下りてきた。白田の浜地区の方で、白田川を渡って片瀬側の川沿いを上流に向って歩き、赤川橋を渡って迂回路を歩いてきたという。水道中継所施設からこの道を下りてきたわけだ。
彼は昭和12年生れの77歳。小太りではあるが、健康そのもの。顔にシミ一つ無く皺もない。毎日、散歩を欠かさないというから、さもありなん。白田の交差点近くにお住いと聞いて、水車小屋を見たことがあるかと尋ねたら、何と、ビッグニュースを聞いてしまった。
白田の交差点から片瀬白田駅方向に歩いて間もなくの所にマンション・ロワジールがある。その前の路上に水車小屋があったというのは、既に私の知識の中にあった。現在丸井ストアを経営しているお宅のお婆さんが管理していた水車である。残念ながら彼女は既に鬼籍の人だ。
さて、その水車小屋の隣に製材工場があって、その中で水車が回っていたと言うのである。工場の中に川が流れており、そこで水車を回し得られた動力を使って製材していたという。水車のエネルギーをどう利用したかは知らない。そのまま機械的に使ったか、あるいは電力に変えていたとしたら、当時既に小電力発電を見事にシステム化していたことになる。
彼は昭和20年に伊東に疎開してきて翌年白田に移り、そのまま住みついて現在に至っている。従って小学生の頃に水車小屋のまわりで遊んでいたのだ。小屋の近くに2軒の家があっただけで、一帯は殆どが田圃だったという。
水車を回して得られたエネルギーを機械的に使ったとしたら、その具体的な製材のメカニズムを、あるいはそのエネルギーを電力に変えていたとしたら、その装置がどんなものであったかを、機会があったら是非聞いてみたいものだ。
五十尻、百尻 ― 2015/08/31
入谷の古老からお話を聞くのは随分久しぶり。いつものように畑で元気に作業しておられました。大正12年生れですから、御年92歳。かくしゃくとして頭脳明晰、恐るべき記憶力。理路整然としたお話しで、聞く人を飽きさせることがありません。
今朝も広範囲なお話があったのですが、ここでは水車関係のことをメモしておきたいと思います。用水路については、堰の沢の本流で堤の水車を回し、水下公民館の下で水下口へ流れ落ちる用水路から分かれて、誇宇耶の水車、堂ノ前の裏の水車(外岡)、二つ掘の前の水車(となり)、前の家の裏の水車(橋場)、そして小学校の上の外岡さんの水車をまわした水路があったということ。
堤の水車を回した水は池上さんの所で、「したんじょう」~銀水荘に落ちる水系と、西にマリンスポーツセンター脇に落ちる水系に分かれるということ。
外岡さんらの水車を回した水路は更に、東は「ヤシ」の脇から上清水~洞川(三島神社周辺)へ、西は交番の脇を通って「いなとり荘」へと枝分かれしていた。そして、これら水路の大本である志津摩川の水門が「五十尻川」の水門とされていた理由が、実は何と、いなとり荘周辺の字名にあると判ったのです。
古老が覚えていたのは、いなとり荘周辺の字名が「五十尻」であり、百尻」であるということでした。ただ、どちらがどこかという具体的なエリアははっきりしないということでした。しかし、いずれにしても、五十尻は入谷の字名ではなく、浜地区の字名だったのでした。
そういえば、マリンスポーツセンターの裏山辺りは「小山尻」でしたね。「土尻」は入谷ですが、五十尻、百尻、小山尻は磯浜だったのでした。読み方も「五十尻川」は「ごじゅうじり」川で、「いそじり」川ではなかったのです。
もうひとつ、水車小屋について。「よかさか」の下を流れる大川の傍らに一つ、「うどんげ」の周辺に二つの“バッタリ式”の小屋があったということです。“バッタリ式”とは水車を回すのではなく、ギッタンバッコンの要領で水受けが上下するのに合わせて、杵が上下して精米する方式のことです。正しくは「添水唐臼」(そうずからうす)と言うそうです。
それから、土尻にあった東の隠居さんの水車は石臼が4個もあったということです。水車の軸の延長線上に付けた4か所の桁が軸の回転によって4個の杵を上下させていたということですから、まさにその光景は壮観だったことでしょう。
なお、1個の臼の精米能力は24時間で約2斗だそうで、4個の臼だと8斗即ち2俵(120キロ)ということになります。ですから1個の臼の小屋では多くて4~5軒くらいの農家の“持合い”ということでしょうか。ですから、水下に6個もの水車小屋があったというのもうなずける話です。
今朝も広範囲なお話があったのですが、ここでは水車関係のことをメモしておきたいと思います。用水路については、堰の沢の本流で堤の水車を回し、水下公民館の下で水下口へ流れ落ちる用水路から分かれて、誇宇耶の水車、堂ノ前の裏の水車(外岡)、二つ掘の前の水車(となり)、前の家の裏の水車(橋場)、そして小学校の上の外岡さんの水車をまわした水路があったということ。
堤の水車を回した水は池上さんの所で、「したんじょう」~銀水荘に落ちる水系と、西にマリンスポーツセンター脇に落ちる水系に分かれるということ。
外岡さんらの水車を回した水路は更に、東は「ヤシ」の脇から上清水~洞川(三島神社周辺)へ、西は交番の脇を通って「いなとり荘」へと枝分かれしていた。そして、これら水路の大本である志津摩川の水門が「五十尻川」の水門とされていた理由が、実は何と、いなとり荘周辺の字名にあると判ったのです。
古老が覚えていたのは、いなとり荘周辺の字名が「五十尻」であり、百尻」であるということでした。ただ、どちらがどこかという具体的なエリアははっきりしないということでした。しかし、いずれにしても、五十尻は入谷の字名ではなく、浜地区の字名だったのでした。
そういえば、マリンスポーツセンターの裏山辺りは「小山尻」でしたね。「土尻」は入谷ですが、五十尻、百尻、小山尻は磯浜だったのでした。読み方も「五十尻川」は「ごじゅうじり」川で、「いそじり」川ではなかったのです。
もうひとつ、水車小屋について。「よかさか」の下を流れる大川の傍らに一つ、「うどんげ」の周辺に二つの“バッタリ式”の小屋があったということです。“バッタリ式”とは水車を回すのではなく、ギッタンバッコンの要領で水受けが上下するのに合わせて、杵が上下して精米する方式のことです。正しくは「添水唐臼」(そうずからうす)と言うそうです。
それから、土尻にあった東の隠居さんの水車は石臼が4個もあったということです。水車の軸の延長線上に付けた4か所の桁が軸の回転によって4個の杵を上下させていたということですから、まさにその光景は壮観だったことでしょう。
なお、1個の臼の精米能力は24時間で約2斗だそうで、4個の臼だと8斗即ち2俵(120キロ)ということになります。ですから1個の臼の小屋では多くて4~5軒くらいの農家の“持合い”ということでしょうか。ですから、水下に6個もの水車小屋があったというのもうなずける話です。
一望閣の”ガサ入れ” ― 2015/08/20
きのうは長坂を下りてきたら、一望閣の玄関前に車が留っているのに気が付きました。中から4,5人が降りて、坂の上側に姿を消そうとしていました。車の横に赤十字の赤いクロスが見えます。何かあったのかな?と、そちらへ上がってみました。事件のニオイがする!?
車の扉には「日本赤十字社静岡県支部 東伊豆町分区」と書かれていました。ウインドウに張り付けた紙切れに「国税徴収法第142条により捜索中 関係者以外出入り禁止 東伊豆町」とあります。今更、何を捜索するのかな?金目のものでも捜しに?滞納された税金の足しにでも?
建物の上側に上がって非常階段の方に廻っても、既に姿は見えませんでした。近くで農作業中のNさんに私の疑問をぶつけると、連中は時々来て中を調べてるんだか、探してるんだかしている、と言う。また、物件を見に来ていた人もいるが、まとまった話は聞いたことがない、とのこと。
だいたい、建物全体を締め切ったままにして何年も放置しておけば、損傷も酷くなって使い物にならなくなる。この建物も再利用は無理だろう、と言います。私も当ブログにその荒れた姿を載せたことがあります。
http://taakesan.asablo.jp/blog/2014/08/05/7406935
「国税徴収法第142条」というのを国税庁のHPで調べてみました。 捜索が出来るのは「(税金の)滞納処分のため必要があるときをいい、差押財産の引揚げ、見積価額の評定等のため必要があるときも含まれる」 そのためには、「相当の理由」が必要だし、捜索の方法には一定の配慮が求められています。
帰宅途中、農家のOさんも作業中だったので、お邪魔して話を聞きました。 東京だかどこだかの事業家がその娘を社長にして始めたのがこの一望閣で、バブルの頃はかなり賑わったとのこと。農作業中に当ホテルのドンチャン騒ぎが聞こえてきたこともあったそうで、長坂の狭い道が広くなったのも、その頃だったということです。大型観光バスがこの道を上がってきたのです。
その後、景気の衰退期に入り、このホテルも採算が悪化、女社長は退き、その後に残った板前が仕切ったがうまくいかず、閉鎖してからはもはや税金の徴収が出来なくなっているらしい。念のためHPが残っているか調べてみたら、案の定、「一望閣オフィシャルサイト」を見つけました。
その「最新情報」のタブを開いたら、稲取の「つるし端午の福まつりの」案内があり、期間が平成19年4月7日(土)~5月31日(木)となっています。何と、少なくとも8年前までは営業していたのです。
全国でも空き家、空きビルが問題になっているようですが、稲取でも一望閣だけではありません。旅館ホテル以外でも、商店・民家にいたってはバス通りでさえ、目につきます。特に、こういうホテル・旅館の類は再利用するにしても整理するにしても、早期に何とかして欲しいものです。
ゴミ焼却場へ持込み体験 ― 2015/08/14
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敷き布団を1枚新調したので、古いのを処分しなければなりません。東伊豆町のHPでゴミ処理の手だてを見ると、布団は細かく切断して普段の可燃ごみとして出すのと、そのままクリーンセンターへ持ち込む出し方の二通りがありました。
そこで、今回は息子一家が来ているので、車で持ち込むことにしました。クリーンセンターへのゴミ持ち込みの流れがどうなっているのか、体験しておく絶好の機会です。
正門から入線して矢印に従い左へ折れると、先ず計量機の上に載って停車します。駐車場の精算機のような右手の装置が音声ガイドをしてくれました。
「専用カードを挿しこんでください。専用カードがなければ、備え付けのカードを挿しこんでください」

備え付けのカードを挿入してカードに情報が記録され終わったら、そのカードを引き抜き、矢印に従って車を進めて場内に入ります。
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係員の方にゴミが布団であることを告げ、彼のガイドに従って所定の場所に車を止めます。そこで布団を彼に手渡すと、直方体の坑口のような穴に投げ込まれました。ここで細かく断裁されるようです。
このあとはUターンして出口から場外に出、
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矢印に従って一周した形で先ほどの計量機の上でストップします。そして先ほどの情報が入ったカードを挿入すると、再度計量された結果、料金が算出されました。ちなみに今回は100円でした。これにてザッツオール。
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